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 私はさよならを言わなかったしあなたも言わなかった


「……三代目」
 若、と呼びたかった呼べなかった目の前で微笑むのは奴良組三代目を継いだ方でそして、
「何故」
 組を抜けた、裏切り者。

 人型のリクオがゆっくりと振り返る。
 年を重ねても変わらぬ大きな瞳がぱち、ぱちと瞬き首無を認めてゆるりと細められた。その輝きは曇らずむしろ深みさえ増していて、視線を逸らしてしまいたくなる。
 力無く何故、と舌が弱弱しく再度紡ぐ。リクオは困ったように微笑んで空を仰いだ。夕暮れの赤が斜めにその顔を照らし出す。
「逢魔が刻だね」
 ふふ、と笑う主は変わらない。二月前まで首無の隣に当たり前のごとく在ったものだった。一瞬ここがどこだか分からなくなる。錯覚だ。
 盃を酌み交わし一万の部下を従える。その意味も重さも何もかも分かっていてこの人は行方を晦ました。何が駆り立てたのか。今更分かったところで首無の成すべきことも未来も変わらぬと言うのに。ただこの時を引き伸ばしたいだけなのか、思考すら既に曖昧で。
「首無」
 夜の領域が空にゆるゆると手を伸ばしている。今望めば血に命じ姿を変える術も持っているのに、人の姿を保ったままリクオは穏やかに笑んでいる。
「だから、と言ったら君は分かるかな」

 それが答えでそれしか答えはなかったのだ。そう言って笑うリクオに手は届かない。握り締めた糸が手に食い込む感触だけが確かだった。


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